勘違い、行き違い
「我が巨人軍は○○に不滅です」
さて、○○に入る言葉は?
昨日、NHKの番組 「みんなでにほんGO」 でこんな話題が取り上げられていた。
かの有名な、長嶋茂雄氏の引退の時の言葉。
誰もが知っている名言・・・のはずなのに、なぜか多くの人が「永遠」だと記憶していた。
しかし実際に彼が言ったのは
「我が巨人軍は永久に不滅です」
なぜ「永遠」が人々の記憶に広まってしまったのか?
「永久」も「永遠」もさほど意味に違いはないようだが、「永久」は出来事の記録などが末に残るという現実的な意味合いがあるのに対し、「永遠」は恋愛などの表現によく使われ、「時間を超えてずっと続く」というようなロマンティックなニュアンスを含んでいるそうである。
巨人を愛するファンが「永遠」のほうがしっくりくると感じ、勝手にそう記憶してしまったらしい。
「初めて自分で自分を。。。。と思います」
さて、。。。。に入る言葉は?
これも、マラソンの有森裕子選手がアトランタオリンピックでゴール直後に言った有名な言葉。
アンケートでは、100人中93人が
「ほめてあげたい」
だと答えていた。
しかし、彼女が実際に言ったのは
「初めて自分で自分をほめたいと思います」
「ほめたい」 と 「ほめてあげたい」 とではだいぶ印象が違う。
後々、雑誌など方々のマスコミで、「自分で自分を『ほめてあげたい』とは何たることか」と批判の声が上がっていたらしい。
周りが勝手に間違って記憶しておいて批判するとは、有森さんに対して失礼だ。
この言葉もなぜ、「ほめてあげたい」として広まってしまったのか?
番組では、「国民の添削」と説明していた。
彼女のインタビューをテレビで見ていた多くの国民が、「私たちこそあなたをほめてあげたい」という気持ちで見ていたので、勝手にそのような言葉で記憶してしまったらしい。
言葉は微妙な使い方の違いで随分と相手に与える印象が変わってしまう。
時にはこちらが意図していることとはまったく違って伝わってしまうこともある。
昔は伝達手段として手紙をよく使っていたので、文章をよく吟味してから書くことが多かったが、最近は携帯メールで手軽にパパッと文字を打てるようになり、その分、「行き違い」も多くなった気がする。
私自身も、メールでのやりとりでこちらが伝えようとしたことが思わぬ形で誤解されてしまい、予想もしていなかったような返事が返ってきてびっくりしたことが何度がある。
自分と近い年代の人とではあまりそういうことはないが、歳の離れた人とメール交換すると度々そのようなことがある。
年代が違うと言葉の受け取り方や感じ方も違うのだろうか。
このようにブログを書いていても、私の場合、結構辛口な記事を書くことが多いので、書いた後も何度も自分で読み返し添削してからUPしているが、それでも読む方たちには、こちらの意図とは全然ちがう解釈をされている可能性もあるのだろうなあ、と心に留め置き、今日もブログを書いているのである。
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