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うちの子たち

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    ★長男 ふくた 1998.8.3生      控えめで恥ずかしがり。しかし探究心は旺盛。冷静な目と鋭いツッコミ技の武器を持っている。                ★次男 ふうた 2006.10.11生     トイプードル×パグMIX。人間も犬も大好き。わんぱくで社交家。

ふくた よろしく!

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2009年10月 9日 (金)

北風と太陽

ふくたが学校へ行けなくなってから4年の歳月が過ぎた。

子どもはあっという間に成長する、とよく言われる。
ふくたも4年間でずいぶん大きくなった。

しかし、この4年は決してあっという間ではなかった。
私には10年にも20年にも感じられる、長い長い年月だ。
一歩前進したかと思えばまた後退、なかなか進歩できないもどかしい日々。
周囲からの重圧、焦り、将来の不安・・・・・

このままでいいのか?
今、何をすればいいのか?
親として今、私にできることは何なのか?

 

いろんな思いを抱えながら、毎月1回相談に通っているスクールカウンセラーの元へ、先日も行っていろいろ話をしてきた。

そして私は、少しだけ自信を取り戻し、腹をくくったのであった。

 

 

ふくたは今11才、小学5年生。

3年生の終わり頃から少しずつ別室登校できるようになり、常勤講師の先生に個人的に学習指導を受けていたが、その先生が今年3月に退職され、ふくたは現在学校には行っていない。

 

昔は「登校拒否」と呼ばれていたものが現在は「不登校」という呼び方に変わった理由や経緯は私はよく知らないのだが、どちらにしても良くないイメージがあり、偏見も多いことに変わりはない。
学校へ行けないことを「怠け」と捉える人が多いし、親は「なぜ行かせないのか」と責められる。

私と夫の両親からも、顔を合わせる度に 「学校は?」 とか 「どうするつもりなんや?」 などと追い詰められる。
孫を心配する気持ちはわかるが、行き場のない親子をこれ以上追い詰めてもどうにもならないのに。

周囲からも 「塾に行かせたら?」 「フリースクールとかは?」 などと聞かれる。
ふくたのことを気にかけてくれてのことなのだろうけど、これも辛い。
学校が無理なら別の所へ、と単純に解決できる問題ではないことを第三者に理解してもらうのは難しい。

 

ふくたは小学校入学前はとっても学校へ行くことを楽しみにしていたのだ。
「学校行ったらどんな勉強するんかなあ」 と、真新しい教科書や算数セットを広げて見てはにこにこしていた。
あの頃がなつかしい。

行けなくなったきっかけは、いろんな不運が重なってのことだった。
最初にたまたま隣同士の席になった子がとても乱暴な子だったこと。
その席が教室の一番後ろで先生の目の届きにくい所だったこと。
ちょっとイジワルな上級生にたまたま出会ってしまったこと。
たまたま下校中に暴行魔に襲われたこと。。。。

真面目で几帳面な性格も自分自身を苦しめる要因になっていたかもしれない。
まだ入学間もない時期に一度にいろんな嫌なことが重なってしまい、「行きたくない」 と言い出した。
その日から、担任の先生が家まで迎えに来てひどく叱咤し、嫌がるふくたの腕を掴んで無理やり学校へ引きずって行く日々が繰り返された。

ついにふくたは心も体も病んでしまい、家から一歩も外へ出られなくなってしまった。

楽しみにしていた学校だったのに、まだひとつも学校で楽しい経験ができないまま、扉は閉ざされてしまった。

この状態を「ひきこもり」と呼ぶのだろうか。
しかし、こうなるのは当然である。
ふくたにとって、小学校に入学してから学習したことは、「家以外に安心できる場所はない」 ということだったのだから。

 

ふくたと毎日24時間一緒に過ごしていると、まったく何の変化もないように思えて気持ちが暗くなる。
しかし、この4年間を振り返ってみると、日頃気付かないとても大きな成長をしているのがわかる。
最初の頃はしょっちゅう吐き気を訴え、ごはんもろくに食べられず、辛そうにソファーに横になっているだけだった。
外出恐怖症、母子分離不安症になり、片時も私から離れられなかった。
やがて家から徒歩1分のコンビニへ私と一緒なら行けるようになり、少し離れたスーパーまで足を延ばせるようになった。
愛犬ふうたが家に来てからは大進歩した。
ふうたを連れて御所まで散歩に行けるようになり、やがては家族3人+1匹で小旅行にまで行けるようになった。

遊びや趣味趣向も幼児から少年へと変化してきている。
得意のお絵描きもますます磨きがかかってきていて、近頃では社会風刺ネタまであり感心させられる。
遊ぶおもちゃも単純なものから最近はプラモデルを作ったり、DSでゲームもやるようになった。 しかもゲーム攻略本で熱心に研究しながら。
観るテレビ番組も子ども向けばかりでなく、政治、歴史、環境問題などいろいろな事に興味を持ち、関心を持った事はインターネットで自分で調べたりもする。

このような変化を、この4年間を振り返ってひとつひとつ確認し、ふくたが着実に成長してきていることを実感するのも、カウンセリングの中での私の作業なのである。

ふくたの世界が少しずつ広がってきていることを感じることができるだけでもとても救われる。

 

しかし、ほんの少しずつだが学校へ足を向けることができるようになった頃から、私たち親子はまた新たな重荷を背負い苦しまなければならなかった。

学校へ顔を出すと先生方はとても喜んでくれるし、それは私も嬉しいし、ふくたも行き甲斐はあるだろう。
しかし、二度三度と通うごとにまた次への期待を背負わされるのだ。
よし、次はあれもやってみよう、これもやってみよう、もう少しがんばってみよう、と。
そしてその重圧に耐えきれなくなるとまた行けなくなってしまう。
何度もそういうことの繰り返しだ。

ある程度学年が上がってから不登校になった子の場合、何らかのきっかけでまたすっと学校に復帰できることがあるようだ。
しかしふくたのように、入学後間もなく不登校になったケースでは、学校での楽しかった経験がひとつもないので学校に対して悪いイメージだけしかなく、そう簡単にはいかない。
先生方は、少しでも学校で楽しい事を体験させてあげようと一生懸命やってくださるのだが、どんなに工夫してくださってもふくたにとって学校が楽しい場所にはなり得ない。
刑務所のような所で素人が芸人の真似をしてつまらないギャグをやっているようなものである。

 

ふくたは、「学校は何のために行くのか? という疑問を持っている。

ある時、ふくたを個人指導してくださっていた講師の先生にその疑問をぶつけたことがある。
その先生の答えはこうだった。
 
「そんな疑問を持つようになったんやなあ。ふくちゃんも成長したなあ。」
下手なはぐらかし方だった。
ふくたは一瞬苦虫を噛んだような表情をした。
この先生はこの程度か、という感じだったのだろう。

何のために行くのか?
それは、「学校なんて行きたくないのに、なんで行かなあかんの?」 という意味ではない。
「勉強するため」 とか 「友達をつくるため」 とか、そんな単純なことを聞いているのではない。
「学校へ行くことの意味」 を奥深く追究しているのだ。
 「勉強やったら学校でなくてもできるやん」
 「友達やったら学校でなくてもつくれるやん」
じゃ、何のために学校へ行くのか?
この質問に、子どもが納得できるよう的確に答えられる人はいるだろうか。

ふくたのこの疑問に正面から向き合ってあげられるのは私しかいなかった。
もちろんすぐに答えは出ない。
ふくたと一緒に考えた。
 
「もし一生学校に行かへんかったらどうなるかなあ」

学校に行けばこういう良い点もある。 でもこういう悪い点もあるね。
逆に学校に行かなかったらこういう面では損だけど、こういう良い事もあるよね。
そんなことを、ふくたと一緒に時間をかけてじっくり話し合った。

よくよく考えれば、学校へ行くことにそれほど大きな意味はないように思えてきた。
行っても行かんでもどっちでもいいやんね。

大人だって、この仕事は肌に合わんといって転職したり、職場の雰囲気になじめないからと辞める人はいくらでもいる。
子どもだって、学校というところが合わないタイプの子がいてもおかしくないはずだ。
国が義務教育というものを定めているから、学校が合わないタイプの子どもが「不登校児」と呼ばれ、常識のレールからはみ出した子扱いされているだけだ。

ふくたと他の子どもたちとの違いはただ、学校へ行っているか行っていないかだけである。
ふくたは私が教えればちゃんと勉強できるし、やる気満々だし、立派に成長している。
漢字を覚えたり、計算の仕方を覚えたりとか、そんなことよりも、もっともっと大きな大きなテーマを次々みつけてはあれこれ思考を巡らし、質問し、自分で調べ、吸収し、あらゆる方向へアンテナを張り巡らそうとしている。

 

健康で、すくすく成長している。
これで十分ではないか。

カウンセラーの先生がおっしゃった。
 
「今はお母さんは 『この子のために何かしなくては』 などと考える必要はないんじゃないですか。 今のふくたくんに必要なのは 『この安全な家で、家族に守られている』 という安心感です。 お母さんはただ温かく見守ってあげればそれで充分ですよ。 周囲からの防波堤となって。 それが一番大変でしょうけどね。」

 

私は、「北風と太陽」の童話を思い出した。
北風さんと太陽さんが、旅人の着ているコートを脱がせる競争をする話だ。
北風さんがビュービュー風を吹かせて無理やり脱がせようとしても、旅人はしっかりコートの襟を合わせ握り締めるので脱がせられない。
ところが太陽さんがジリジリと照りつけると、旅人は暑くて自らコートを脱いでしまい、太陽さんの勝ち。

そうだ。 私はいつも明るく温かくふくたを見守ってあげればいいのだ。
私はふくたの太陽になろう。
周囲の荒波はきついけど、しっかり防波堤になってあげよう。
母の腕の見せ所だ。

 「いつかそのうち、ふくたくんは自分から何かをみつけ動き出すと思いますよ。 それまでじっくり待ってあげましょう。 きっと何かにめぐり会うことがありますよ。」

 

そして、カウンセラーの先生が、最後にこうおっしゃった。
 「ふくたくんの将来が楽しみですね」

 

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みきの心録(ココログ)」カテゴリの記事

愛息ふくた」カテゴリの記事

コメント

 みきさん、じっくり読ませていただきました。
 学校が好きで好きで、40度の熱が出ていても学校に行ってしまったお気楽子どもだった私の考えなので、参考になるかどうかわかりませんが・・・。

 「学校は何のために行くのか」と聞かれたら、私は、「誰かが自分を待ってくれているかもしれないから」と答えます。

 その問いは、「何のために生きているのか」と似ていますね。
 人が生きていく上で、いいこととといやなことを比べれば、圧倒的にいやなことのほうが多い。でも、いやなことのほうが何倍も多くても、いいことが一つでもあればいやなことは忘れてしまいます。
 私の人生は、ほぼ「みんなからポロカスに言われる人生」ですが、いつかどこかで、「 待ってたよ」と言ってもらえることがあるかもしれないという気持ちは持ち続けています。だから、死なずに生き続けられるんです。

 大人が子どもにしてやれることは、「いつかどこかで、君のことを待ってくれている人がいるかもしれんよ」という希望を持たせてあげることではないでしょうか。
 今学校に行けば、いやなことがいっぱい待っているかもしれない。でも、ずっとずっと君を待ち続けている人もいるかもしれない。その人に巡り合うには、最初の一歩を踏み出さないと・・・。

 今のところ、私が誰かの役に立ったという実感はまったくないのですが、「こんなええかげんな人間でも、へらへらして生きていけるんや」とはよく言われます。それはそれで、人の気持ちを楽にしていてええのかなと思ったりもします。

 ふくた君も、「パオパオええかげん道場」に入門する?
 いや、ちょっとギャップがきつすぎるか・・・。 

 

 

☆パオパオさん

じっくり読んでいただいてありがとうございます。
私もパオパオさんのコメント一言一言噛みしめて読ませていただきました。

「誰かが自分を待ってくれているかもしれないから」
・・・とても心温まる言葉ですね。
「こんなコメントくれた人がいるよ」と、ふくたにこの言葉を伝えました。
ふくたは「うん」とにこにこしてうなずいていました。
たぶんわかっていると思います。
ふくたのクラスメイトの何人かが時々「学校へ来てね。待ってるよ。」という手紙をくれます。ふくたはそれを嬉しそうに読んでいます。
でも、それが「学校へ行こう」という原動力にはならないようです。
入学間もなく、わずか6才にしては厳しすぎる試練を与えられたふくたの心の傷はそれほど深いものなのでしょう。

ふくたが通う学校は、学力全国NO.1を目指す文科省のモデル校。公立校でありながら入学希望者が殺到しマンモス化しています。
大人たちのエゴイズムに振り回される子どもたち。そこには汚い大人社会の縮図のようなものが垣間見えます。
そんな学校の裏事情までよく理解しているふくたに、”きれいごと”を並べても通用しなのです。
「学校は何のために行くのか」というふくたの疑問は、そんな学校の在り方への批判も込められているのです。
11才の子どもだからとナメたらあかんと思います。
「学校は誰のためにあるのか? 何のためにあるのか?」
大人レベルで深く掘り下げて考えなければならない、大きなテーマです。だから簡単に答えは出せないのです。
 
 
また、「最初の一歩を踏み出さないと・・・」についてですが、、、
ふくたはもうだいぶ前に一歩を踏み出していたのです。
その一歩を踏み出すまで、私たち親子は汗と涙の格闘の日々でした。
私はあの手この手で何とかふくたが学校へ行く気になってくれるよう一生懸命でした。
最初の「一歩を踏み出せた日は、私も先生方もみんなで大拍手でした。
そして頑張って頑張って努力して努力して、2歩目3歩目と踏み出し、頑張り過ぎて疲れて一歩後退し、また前進し、後退し・・・そんなことを繰り返しながら10歩ぐらい、いや50歩ぐらいは進んだかな。
まあ、今は休んでいるのでまた振り出しかもしれませんが・・・
 
でも今振り返ると、最初の一歩を踏み出す時期がまだ早過ぎたと思うのです。
周囲の人たちは、「学校へ行く」という目に見える動きだけで「進歩」と判断しますが、親としてはもっと本質を見なければならないと思います。
ブログの記事中にも書いているように、今は学校へ行っていなくても、ふくたは着実に内面で進歩しています。
政治社会問題に興味をもっているのも、将来自分が生きていくこの社会は安全なのかどうか、その中で自分はどのように生きていけばいいのか、そのようなことを無意識レベルで考えながら一歩を踏み出すための準備をしているのではないかと思うのです。
そしていつか、時期がきたら、周りに促されなくても自分から動きだすはず。
その時がくるまで、親の私はじっと見守っていてあげよう。
踏み出す方向が学校ならばそれで良し。学校でなく別の所ならそれでも良し。
どこでもいいではないか。それがふくたにとって幸せなら。
この4年間何度も失敗を繰り返し、辿り着いた答えがそれなのです。

踏み出したその先に、素晴らしいめぐり会いがたくさんあればいいなと願います。
そんな出逢いがあったとき初めて「ああ、ぼくを待ってくれてた人たちがいたんだ」と実感できるんじゃないかなあ。
 
 
パオパオさんのご意見に対する私の意見として、筋が合っていたかしら? ちょっとズレていたかしら?
ズレていたらごめんなさい。
 
でも、こんな私の気ままなひとりごとみたいな記事に誰もコメントなどくれないだろうと思っていたのに、パオパオさんからコメントいただいて嬉しかったです。
ふくたのことをこうして気にかけてくださる方がいるだけでも本当にありがたいことです。

コメントありがとうございました。

 みきさん、みきさんにもふくた君にも「あんまり、きばりすぎんなよ」と言いたいです。
 ふくた君を待っている人は絶対にいると思います。ほかの人が体験できない貴重な体験をしているのですから。
 じっくり待つことは、ほんとにむずかしいことだと思います。でも、いつまでもいつまでも待ってあげてね。

 ふくた君に言ってあげてください。
 「毎日毎日、奥さんからボロカスに言われても、それにめげずニコニコして生きてはる人いるよー。それは、いつかきっといいことがあると信じて生きてはるからやって。」

 おっちゃん(私)みたいに、(ある程度)手抜き人生であってもいいような気もするんですが・・・。

前にも書いたと思いますが、ふくた君はとっても感受性が豊かで繊細なんだよね。だから大人の感情もすぐに読み取ってしまい、自分の事で悩んでるみきさんや周りに気を使い頑張ってしまい疲れてしまうのかもしれませんね。
そういうとこはみきさんに似たのかな?

毎回会って話してる訳じゃないけど、たまにしか会わないからこそ感じるのは、ふくたくんは以前より着実に前進してると思います。
だってホントの笑顔が確実に増えてますもんshine

学校に行く意味、それは私も先日子どもに聞かれました。お姉ちゃんの場合はクラブの人間関係に振り回されて学校を辞めたいって感じで聞いてきたので、私なりに伝えたのは大人になるための練習の場所と言いました。
大人になって仕事をしだしたら、やり直しは中々出来ない。だから学生のうちに色んな経験をして嫌なことをどうしたら対処できるか考える場所。
学生のうちは好きな友達とだけ一緒に居れるかもしれないし、体調が悪かったり、嫌な事があって休んでもペナルティは軽いけど、実際仕事をしたらそんな簡単じゃない。嫌な人とも付き合わないといけないし、体調が悪くても中々休めない。だから学校はどうしたらストレスをうまくコントロール出来るかを練習する場所。お姉ちゃんは高校生だけど単純だから、これで納得してくれたけど、学校に行く意味は年齢によって説明が少し違うと思います。
でもふくた君の場合は小学生に説明する友達を作るとかそういう単純な答えを待ってるんじゃないんだろうなsweat01
きっとこのままで良いんだろうか?って自分でも周りの思いを感じとって出た言葉かもしれませんね。

こんな事言って怒られるかもしれないけど、今の学校制度は子どもの為じゃありません。でもそれを変える事もすぐに出来ません。だから少しづつ慣れていくしかないのです。
でもね、慣れるというのは必ず学校に行かないといけないって事でもないんです。
不登校でもちゃんと家から出れるようになっているのなら大丈夫、前進してから後退したって大丈夫!だってそれは間違った前進だったって事に気づいたんだから、またやり直ししたら良いと思うし、親はそのときに色んな選択枠を用意したげたら良いんだと思いますよ。
なんか伝えたい事まとまらなくて、長くなりごめんなさいsweat01
とにかく頑張りすぎないでねhappy01

☆パオパオさん

ありがとうございます。
私もきっとふくたを待ってくれている人たちがいると信じています。

ただ、「学校へ行く意味は?」に対する答えとしては「誰かが待ってくれているから」というのはちょっと違うなぁ、と私は思います。
なんかどうも他力本願みたいな感じがして・・・

ふくたが求めているものは「待ってくれる人」ではなく、「学校へ行って、社会に出て、自分はこれをやりたい、こうなりたい」というはっきりした自分自身の目標だと思います。
今ふくたはそれを彼なりに模索している最中なのだと思います。
そして目標がみつかった時、きっと自分でエンジンをかけて動き出すだろうと私は思っているのです。

もちろんその過程でいい出逢いがたくさんあればいいなと思います。


奥さんにボロカス言われてニコニコしているパオパオさんにはなんだか親近感を覚えるというか、思わずこちらまで笑みがこぼれてしまいます。
しかしボロカス言う奥さんのお気持ちも、同じ妻という立場からよーくよーく理解できるので・・・・・なんとも言えまへん(失!)
 
 
 
 
☆naoさん

いつも温かいコメントありがとうございます。

たまにしか会わないのに、ふくたの前進に気付いてくださってたんですね。嬉しいです。
ふくたの性格までよくわかってもらえてますね。
まさにその通りって感じです。
逆に毎日一緒にいる親のほうが気付いていないことって結構あります。

「学校へ行く意味」・・私はふくたといろいろ話をする中で、「学校は将来社会に出て生きていくための力を身につけていくための所なんやで」と説明しました。
的確な答えかどうか自信はないけど、naoさんがお姉ちゃんに説明された「大人になるための練習の場所」と共通しているかな。
でもきっと本当の答えは本人がいつか自分でみつけてくれるでしょう。自分でみつけなければ意味がないですよね。

naoさんがおっしゃるように、私も今の学校制度は子どものための制度じゃないと思います。
だからといってすぐ変えられるものじゃないんですけどね。

いつになったら学校へ行けるのか、ずっと行けないのか、まったく先が見えないのだけど、naoさんのようにちゃんと理解し見守ってくださる人たちがいることでふくたは救われるし、生きていけると思います。

頑張りすぎないように、ゆっくりぼちぼちふくたの歩みを見守っていきたいと思います。

はじめまして、ブログ読ませていただきました。
我が家にも、学校に行けない息子が2人おります。
いろいろありましたが、今は、フリースクールに毎日喜んでいっています。
子どもたちのペースに合わせた、ゆる~い感じがいいのかな?

型にはめるのはやめよう。子どものペースに合わせようと思ってます。が、時々気持ちが揺れます。
そんな時、ふくたままさんのような話は、元気付けられます。

学校って何なのでしょう。

☆まあちゃんの母さん

コメントありがとうございます。

私も今の自分のやり方に決して自信があるわけではなく、いつも気持ちが揺れる日々です。
でもこうしてコメントくださる方がおられることで私も元気づけられます。
私と同じような立場におられるまあちゃんの母さんとはとても心が通じる気がします。

お二人の息子さんにも、うちの息子にも、明るい未来があることを信じて、お互い前向きに、そして頑張り過ぎずに行きましょうね。

S木でわかりますか?
ブログたまに読んでます。

今回の「北風と太陽」は、なんかよかったですね。
「ふくたくんの将来が楽しみですね」という言葉には
お母さんの決意みたいなものも感じられました。このフレーズ、しばらく心のなかに残りそうです。

ふくたくんが学校に行けなくなったのは、ひょっとして、人気有名小学校のあり方と関係があるのではと推測していました。やっぱり、それもあったんですね。

山科の小学校はボロボロなのに、有名校はかなり豪華だとか噂を聞いています。同じ公立なのに不公平ですね。税金の使い方が間違ってます。

ふくたくん、ひっそり応援してます。「希望の星」としてがんばってください。(「がんばれ」って言ったらだめだったのかな?)

☆山科のS木さん

↑で、わかりましたよ。
ブログ読んでくださってありがとうございます。

私も今の学校の在り方には疑問に思うところがあります。
同じ公立の学校なのに、一部の学校だけが文科省のモデル校になって授業のシステムとかも違ったり・・・
なんか子どもたちのための学校とは違う気がします。

ふくたはそんな学校から溢れてしまいましたが、こうして密かに応援してくださる方々がおられることが彼にとっても親の私にとっても大きな救いです。


今はこんな感じでランニングのほうもあまり思うように練習できてない状態ですが、S木さんの背中を追って頑張って行きますね~
またよろしくお願いします。

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