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    ★長男 ふくた 1998.8.3生      控えめで恥ずかしがり。しかし探究心は旺盛。冷静な目と鋭いツッコミ技の武器を持っている。                ★次男 ふうた 2006.10.11生     トイプードル×パグMIX。人間も犬も大好き。わんぱくで社交家。

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2009年3月25日 (水)

走る意味・その2~「ランニングとの出会い」

走ることが得意なのに、走ることに縁がなかった子供時代。

初めてスポーツの世界に飛び込んだものの、不完全燃焼で終わった大学時代。

ランニングとの出会いはまだ少し遠かった。

 

私にとって、「走る意味」とは・・・

前回の記事「原点・生い立ち」に引き続き、今回は「ランニングとの出会い」を振り返ってみる。

 

☆ アーチェリーに懸けた青春を振り返り・・・

 

大学を卒業した私は、アーチェリーの世界からきっぱり身を引いた。
目標が高過ぎたのか、自分が目指していたレベルにははるかに届かず、不完全燃焼だったが、もう続ける気力は残っていなかった。

今振り返れば、目標に届かなかったのは当然だと思う。
スポーツというものは、「心」 ・
「技」 ・ 「体」 すべてが揃っていなければ上達できない。
昔の日本のスポーツ界は大方そういう傾向にあったのだろうけど、私が所属していたクラブも、精神面の鍛練ばかりに力を注ぎ過ぎ、「技」の磨き方、「体」のつくり方においての知識が乏しかった。
特にアーチェリーというスポーツは専門知識のある指導者が少ない。
先輩が後輩をしごく伝統ばかりが重視されていた。
私が幹部になったとき大分改革はしたけれど、時代の流れを一気に変えるのはなかなか難しかった。

あれから約20年。 今はどうだろうか。。。

 

 

☆ お気楽ランニングとの出会い

 

社会人となった私は仕事に追われ、スポーツなどやる余裕もなかった。
毎日朝から夜中まで働き詰め。 残業時間は月100時間を超える。
休日出勤もあり。 たまに休める日も疲れていて家でぐったりしていることが多かった。

いつの間にか体も精神も蝕まれていった。
入社5年目、ついに倒れてしまった。

 

数ヶ月間の療養生活後、某公共機関で非常勤職員として働くことになった。

その職場でランニングサークルに入らないかと誘われた。

実は会社員だったとき、平安遷都1200年記念として「京都シティハーフマラソン」という大会が発足され、とても興味はあったのだが、練習する暇もないし躊躇していた。
近くまたその大会があるので出てみないかと言われた。
しかし当時は抽選制で、申し込んでみたが落ちてしまった。
落ちて良かった。 全くランニングの経験がないのにいきなり練習せずに制限時間2時間のハーフに出るなんて無謀だ。

まずは走る練習を始めよう!

しかし、大学のクラブとは大きく違い、ほとんどお遊び的なサークルだった。
元々はスキーがメインで、オフシーズンにも体を動かそうとランニングを取り入れたらしい。
練習会は部長さんの都合で不定期に開かれる。
練習会以外の日はほとんど走らない人が多い。
私もごくたまに気が向いたとき、3~4km程度走るだけだった。

そのサークルの仲間と、2度だけ大会に出たことがある。
10kmのレースだった。
今思い出すと笑ってしまう。
何せランニングの知識が全くなかった私。 普通の綿のTシャツにジャージのパンツで出場。
まあそれぐらいなら初心者では誰でもあり得る。
しかし私はすごい。
どんなシューズを履いていいのか分からず、ちょうどテニスショップをやっている叔母にもらったテニスシューズを持っていたので、なんとそれで走ったのだ。
とにかく重いし、それに着地の度にブレーキをかけて走ってるようなものだ。
それで初レースは10kmを1時間11分で走った。

さすがにこんな重いシューズではいかん、次のレースではとにかく軽いものを、と買ったのが2千円台の普通のカジュアルな紐靴。
2回目の10kmレースは、これで1時間1分で走った。
「さすが! 靴を軽くしただけで10分もタイムを縮めた!」 と喜んでいた私。
ある意味これはすごいと思う。

サークルに所属していた間、出場したレースはこの2回だけ。
お気楽なサークルだった。
それなりに楽しかったけど、本当のランニングの楽しさは味わえなかった。

 

 

☆ 解放 ~海の楽園~

 

数年後、私は突然スキューバダイビングを始めた。
元々海が大好きで、これもずっと以前から興味をもっていたのだが、危険を伴うスポーツでもあり、ちょっと勇気がいる。
しかし、今までなかなかやりたいことをやれない人生だったし、これからもそんな人生で終わるのは嫌だ。
「一生ダイビングをやらずに人生を全うするか、ダイビング中に海で命を落とすか、どちらがいいか?」
後者のほうがいい、と思い挑戦した。

ダイビングのライセンスには初級から上級までたくさんクラスがあるが、私が取得したのは下から3つ目のクラスの、「BSACスポーツダイバー」というライセンス。
これを持っていると水深30メートルまでの潜水が許可される。

重い器材を抱えて飛行機に乗り、夢に見た沖縄の海へ、何度も潜りに行った。
沖縄本島、慶良間諸島、宮古島・・・

また新しい自分の居場所ができた。
将来はインストラクター?、水中写真家? などと夢をふくらませてみたり・・・

地上から見れば平面の海、しかしその水面下には別世界が広がっていた。
サンゴ礁の森、色鮮やかな熱帯魚の群れ、イワシの大群、優雅に翻るマンタ、迷宮のような海中洞窟・・・・・
見るものすべてが夢のよう。 ここは地上とは違う時間が流れている。

これはまさに、楽園だ!

ランニングには”ランナーズハイ”というのがあるが、ダイビングにも”ダイバーズハイ”という現象がある。
人によって現れ方が違うが、ランナーズハイよりもそれが顕著に出るのでおもしろい。
潜水中に突然涙が止まらなくなる人、笑いが止まらなくなる人、などなど。
私の場合、恐怖心が完全になくなるという形で現われていたらしい。
ウミヘビやウツボなど危険な生き物に間近に接近し写真を撮ろうとして仲間のダイバーに止められたことが何度かある。

一度、地元のガイドダイバーの案内で、海中の崖っぷちへ探検に行ったことがある。
水深約30メートルの台地の端がほぼ垂直に切り立っていた。
興味深々の私は、潮流に流されないよう気を付けながら、その端っこまで行き、崖の下を覗いてみた。
暗黒の無限の世界が深く深く広がっていた。 おそらく水深数百メートルはあるだろう。
何という神秘的な世界! まるでブラックホールだ。
うっかり近寄ると異次元の世界へ吸いこまれてしまいそう。
もちろんここから先は危険なので潜水禁止。

それまでに見た景色とは違い、何者も寄せ付けない偉大さを感じた。

この地球の広大さに比べて、人間とは何とちっぽけな存在なのだろうか・・・・・

 

今までの人生の中で一番幸せと感じたときは?
ともし聞かれたら、私は 「あの海の中にいたとき」 と答えるだろう。
海の中にいると、自分を縛りつけているすべてのものから解き放たれる。
しがらみも、けがれもない。
傷付けるものも何もない。
そしてただゆったりと静かに時間が流れている。
海の中にいると、もう地上には戻りたくないとさえ思ってしまう。
天国のようなところだった。

 

 

☆ 束縛 ~家庭~

 

しかしその後、急に時間の流れが慌ただしくなってしまった。

30歳で結婚、そして出産、育児。
大きな人生のイベントが一気に降りかかってきた。
周りから見ればとても幸せなことなのだろうけど、それまでの生活サイクルが180度変わってしまい、慣れないことだらけで大変だった。

夫の趣味はランニング。
私も走ることは好きだから、一緒にランニングを楽しめるかと思っていたが甘かった。
夫はランニング中毒だった。
月間走行距離800km。 とにかく暇さえあれば走っていた。
休日は毎週どこかの大会に出かけて行く。
そして度々職場のランニングクラブのメンバーと国内外のレースに泊まりで遠征に行く。
残された私はいつもひとりで家事と育児に追われるだけの日々。

実業団の選手であるならばこちらも全力で応援するだろう。
しかし彼はただの市民ランナー。 走ることで生計が成り立っているわけではない。

それに、結婚前は穏やかで優しかった夫は結婚して豹変した。
釣った魚に餌はやらない、ってやつか。
まるで昔のホームドラマに出てくるような亭主関白で、気に入らないことがあるとちゃぶ台をひっくり返す昭和初期の偏屈オヤジみたいな男だった。

夫は自分だけ好きなことをして、私には辛く当たる。
私はひたすら家族のためだけに働くだけ。

私はいったい何なの?

せめて家の中に居ながらできる自分の好きなことをしたい。
昔から絵を描くことが好きだったので、通信教育で絵の勉強をしたいと切り出した。
しかし、家事がおろそかになるという理由で夫に反対された。

納得がいかない私。
逆上する夫。
そして警察や救急隊にお世話になる事件にまで発展してしまった。

 

 

☆ 爆発 ・ 決心

 

心身ともに大きく傷付いた私はついに我慢の限界を超えた。
ひと波乱、ふた波乱あり、しばらく別居生活となった。

和解までにはかなり時間がかかった。

もし子供がいなければ、確実に離婚していただろう。
しかし自分の都合のために子供を犠牲にはできない。
将来のことなど、いろいろ考えなければならなかった。

。。。。。。。。。。 

そして2003年。
再び家族3人でひとつ屋根の下に暮らすようになりしばらくたったある日、思い立った。

私も走ろう!

以前サークルに入っていたときのようなお気楽ジョガーではだめだ。
ランナーになろう。

私が弱いからだめなのだ。
強くならなければいけない。

「夫のため、子供のため」 と、私がいろいろ我慢することが、かえって家族の人間関係を悪くしていることがわかってきた。

 

「私は私として生きよう!」

 

早速、ランニングシューズ、ウエア、必要なものを買いそろえた。

中学生の頃から憧れていた陸上の世界。
やっとそこへ足を踏み入れた。
私は35歳になっていた。

 

次回は、私がランニングを始めてからの変化、そして走ることへの思いを記事にする予定です。

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コメント

 常に誰彼なし、周りの人に甘え続けて生きてきた私には、刺激のきつ過ぎる展開になっています。
 これから、「みきさん」じゃなく、「みき先輩」と呼ぼうかしらん。(人生経験は、確実に私の数倍上です。)
 自分の気持ちを落ち着かせ、考えを整理することはむずかしいことやけど、大事なことですね。この先も、しっかり読ませてもらいます。 

☆パオパオさん

この「走る意味」シリーズは私的な”心のノート”みたいなもので、読んでいただく方々には面白くも何ともない内容だと思いますが、しっかり読んでいただいてありがとうございます。
たしかにブログネタとしては刺激がキツ過ぎかな?(笑)
自分の歴史を冷静に振り返ることで、未来への道を探ってみよう・・・という自己満足なブログです。

苦しい胸のうちが、ヒシヒシと伝わってきます。
我が家も似てるかな?
私は我慢出来なくて子供二人連れて夜逃げしちゃったけど(苦笑)coldsweats01
再婚した今は、前よりはマシって感じで走る時間を見つけてますwink
人生色々ですね・・・typhoon

☆未来さん

未来さんもいろんな苦労を乗り越えてこられたんですね。
”夜逃げ”も離婚・再婚もとてもエネルギーの要る大変なことです。特に子持ちだと。
それをやってこられた未来さんは強い人だと思います。
私にはそんな勇気もなかった・・・
走ることを通して自分を磨き、もっともっと強くなりたいと思っています。

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