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    ★長男 ふくた 1998.8.3生      控えめで恥ずかしがり。しかし探究心は旺盛。冷静な目と鋭いツッコミ技の武器を持っている。                ★次男 ふうた 2006.10.11生     トイプードル×パグMIX。人間も犬も大好き。わんぱくで社交家。

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2009年3月23日 (月)

走る意味・その1~「原点・生い立ち」

2009年 3月1日 篠山ABCマラソン は、忘れられない思い出になりそうだ。

あんなに苦しいレースは初めてだった。。。

  ⇒ 3/3 「涙の苦行・・篠山マラソン」

 

☆   ★   ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★   ☆

今回の記事はちょっと大げさなタイトルですが、このブログの軸となる、私にとっては大事な部分です。
読んでいただいている方々には少し退屈な内容だと思いますが、私の中の永久保存版として残しておくため記事にしてみました。

☆   ★   ☆   ★   ☆   ★   ☆   ★   ☆

  

あのレースを走り終えた直後は 「もう走りたくない。当分レースは嫌。」 と思った。

が、3日間完全休養し、疲労が抜けたと感じた3月5日、私はまた走り出していた。

まだ胃腸の調子は完全に回復はしていなかったが、走らずにはいられなかった。

沸々と悔しさが湧き起こってきた。

例えタイムが悪くても、これが限界と思えるぐらい最大の力を出し切ったレースなら自分で満足できる。
しかしあんな結果で終わっては納得がいかない。
いくら体調が悪かったからって、ゴールすりゃそれで良しってもんではない。

 

くっそーっ リベンジじゃーっ!!!!!

 

レース中はあまりの痛み、苦しみで、「何のために走っているのか?」 と自分に問いながら答えが出ずに終わってしまったのだが、、、

思い出した。 「走る意味」。

日常の中の雑事に追われ、走ることが生活の枠からはみ出しそうな状況になりつつあったため、最近の私は大事なことを忘れてしまっていたようだ。

 

「走る意味」

私がランニングを始めたきっかけ、その原点は私の生い立ちにさかのぼる。

  

私は今でこそ 「良妻賢母」、いやこれは間違い・・・
”たくましい主婦”、”強く優しい母”、そして”冷静な鬼妻” の三役をこなすちょっと怖い女だが、(ひと昔前、こういう女性は”オバタリアン”と呼ばれていた) こう見えても子供の頃はいじめられっ子だったのだ。

幼い頃はとても活発で、おままごとのような女の子らしい遊びはあまり好きではなく、いつも男の子の友達と原っぱで走りまわっていた。
しかし、小学一年の終わりに家の事情で引っ越すことになった。
転校先の学校では最初だけはクラスメートがたくさん集まってきたのだが、ある日突然「いじめ」が始まった。
クラス全員が私を無視する。 遊びの仲間に入れない。 口もきいてくれない。
「近寄るな」 「汚い」 とバイ菌扱いする。
元来明るく活発だった私は、次第に気弱で人と話すのが苦手な暗い女の子になってしまった。
いじめは卒業までずっと続いた。
転校してからの学校では何ひとつ楽しい思い出がない。

相談できる人もいなかった。
母は精神病を患っていて、感情をコントロールできなくなると子供の私にそれをぶつけた。
父は忙しかったせいか、巻き込まれたくなかったせいか、あまり家庭を顧みず仕事に没頭していた。
私は学校にも家庭にも居場所のない子供だった。

 

大学生になり、やっと念願の体育会系クラブの入部を果たした。
それまで 「スポーツをやると頭が悪くなる」 という理由で親からスポーツを禁止されていたのだが、意を決しての大反抗だった。
もういつまでも子供ではない。
私はいつしか母より強くなっていた。

本当は陸上部に憧れていた。
小さい頃から足が速く、運動会ではいつも一番でテープを切る、走るのが大好きな少女だった。
中学生の時、運動場で陸上部員が練習している様子を羨ましく窓から眺めていたのを覚えている。(なぜか女子部員がひとりもいなかったが)
しかしさすがに大学ともなると中・高からの経験者がほとんどで、私のような陸上未経験者は入れる余地がなかった。
そこで選んだのがアーチェリー部。 部員の多くは未経験者だった。

やっと自分の居場所がみつかった。
この大学のアーチェリー部は、入部してから知ったのだが、何より伝統重視で、練習も部内の上下関係も猛烈に厳しいまるで軍隊のような部だった。
厳しさに耐えられず辞めていく部員も多かったが、私はそんなものは何ともなく、ひとつのことに打ち込める毎日が楽しくて仕方なかった。

封建的な制度には反発もした。 でも辞めようとは思わなかった。
どんなに厳しくても、意地でも食らいついて頑張った。

そこまで頑張れたのは、小学校での悔しい体験があったから。
長い間ずっと心の傷は癒えなかった。
「強くなって、見返してやる」 という気持ちを常に持ち続けていた。
怒り・悔しさを矢一本一本に込め、一日に何百本も的を射抜いた。
毎日100回の腹筋と腕立て伏せは欠かさなかった。

しかし私はプレッシャーに弱いという欠点があった。

練習ではすごい成績を出せるので、周りから 「今度の試合は入賞間違いなしやね」 などと期待される。
すると本番ではボロボロになる。 ここ一番の時に力を発揮できない。

いつもこんな調子だった。

4年間の間にいくつかのトロフィーや賞状など思い出に残せるものは貰えたが、自分が目標としていたレベルにははるかに届かず、不完全燃焼のまま大学でのクラブ活動は終わってしまった。 

そして就職。
大学卒業後は二度と弓矢を持つことはなかった。

 

続き 「ランニングとの出会い」 は次回の記事で。

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コメント

 お気楽オッサンランナーことパオパオです。
 さっそく読ませていただきました、「原点・・・」。
 何の苦労もなしにのうのうと生きてきた私には、刺激的な内容です。でも、私にはない「底力」を持った人だということが、ひしひしと伝わってきます。
 私は、ひとに「がんばれ」とは絶対に言いません。ただ、その人に向ってニコッと笑顔をおくるだけ。(「二ヤけたオッサン」と、おこらんといてね。)

 「頑固ババアの底力、とくと見せていただきやしょう!」(続き、はよ書いてね。)

☆パオパオさん

早速コメントありがとうございます。
有名人でもないオバサンの自叙伝にコメントなど誰もくれないだろうと思ってました。

私も同じく、人に「がんばれ」とはあまり言いません。
「がんばりが足らんぞ」と言ってるようなもんですからね。
”ニコッと笑顔”のほうがずっと嬉しいです。

いじめられっ子が頑固ババアに変身していく物語、楽しみに待っていてください。
(相変わらずじれったい更新お許しください)

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